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自分は誰でしょうか?

自分のアイデンティティの土台はなんですか?

私って、誰でしょうかと御自分にお聞きになったことがありますか?誰でもに関する大切な質問であっても、考えにくいところがあると思います。どちらの素性、生育、身分などかを覚えて、自分を自分の周りの人に見比べながら私がどちらの環境で育ってきたかというのはだんだんと明らかになってきます。その上、自分の個人生、賜物、興味をわかることを通して、将来の人生の道が影響を受けますね。

聖書によるとそういったことを超える私達のアイデンティティに関する深い真理があるのです。人間のアイデンティティは神が創造主でいらっしゃって、ご自分の作品を愛されることから沸き起こっています。

詩篇139編1節から4節と13節にこう書いてあります「1主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。2あなたこそは私の座るのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。3あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。4言葉が私の舌に登る前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。…13それはあなたが私の内臓を作り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。」

神は私たち一人一人を母親の胎のうちで組み立てられたのです。それは素晴らしいニュースですね。神は私たちの個人性を創造し、それにとても喜んでいらっしゃるのです。人間は二人でも同じではありません。神はそこまで想像力のあるお方でいらっしゃるのです。そして、一人一人がユニークな存在であることを喜んでおられます。私たちの体、性格、個性は神の計画通りできたのです。あなたは偶然にできなくて、神に計画され造られたのです。永遠の神はあなたを大切にして、形に流し込んで作ってくださったのです。

クリスチャンのアイデンティティの土台は自分が神の愛される作品である事です。この土台の上で神と私たちの隣人を愛しながら私たちの人生の道を決めて歩みましょう。

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